- ためになるワインの話, 伊藤治美
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はじめまして。福岡でソムリエをしております、伊藤と申します。
今回はご挨拶のかわりに、私が「ソムリエになった理由」をお話させてくださいませ。
私はもともとホテルのバーで働いておりました。
接客の仕事は好きだったのですが、バーテンダーとして生きていく覚悟も実感もわかないまま悶々とした日々を過ごしていたんです。
結婚を機に、将来がなんとなく決まってしまったような気がして何故か更に焦り、
「自分っていったい何なんだ!?」的な人生の曲がり角を迎えたわたしに
「フランスにでも行ってくれば?せっかくフランス語習ってるんだし・・・」と提案してくれたのは夫。
そうして私は一人、フランスはディジョンにあるアリアンスフランセーズ・ブルゴーニュ校へ留学いたしました。
フランス留学
アリアンスフランセーズ・ブルゴーニュは場所柄、世界中から勉強熱心なソムリエが集まってきており、私も彼らにくっついてあちこちのドメーヌを見学させていただいたのです。
ドメーヌ訪問が恰好のフランス語訓練になると覚えた私は、一人でも授業のない日は必ず3箇所、自分にノルマを課して一人でドメーヌを見学して回りました。
ある2月の、寒い雪の朝。
ジュヴレィシャンベルタンにある、とあるドメーヌと約束をして
バスでその村まで行ったんです。
バス停から蔵元まで20分ほど、ブーツで雪道をよたよた歩きました。
蔵元ではいろいろとお話と試飲をして、ジュヴレィシャンベルタン1級カズティエを1本購入させてもらい、またよたよたと雪道をバス停まで戻ったのですが・・・。
私が見たものは、1時間半~2時間に1本のディジョンまで行くバスの後姿でした。
・・・次のバスまで1時間半。
「どうしよう・・・」
村の中心へ戻ろうか・・・とも思いましたが、吹雪の中20分歩いて戻る勇気と体力はもう残っていませんでした。
バス停は小さなロータリで、横には銀行。
ワインを1本抱いて震える私の目の前を一人のおばあちゃんが「ボンジュール。寒いね」と仰いながら通り過ぎ、銀行へ入っていらっしゃいました。
・・・で、しばらくしてまた、私の目の前を横切って家のほうへ戻られたんです。
雪は止まず、
その後は人っ子一人通らない。
あまりの寒さに手足が麻痺してきて「もうだめかも・・・」と思った時、一台の車が私の目の前にとまりました。
見ると、さっきのおばあちゃんです。
「ディジョンまで行くんでしょう?乗りなさいよ」
そういって雪の中、私をわざわざ送ってくださいました。
おばあちゃんはその時85歳。
若い頃は学校の先生だったそう。
「戦争の後、よその国から子供たちが大勢このブルゴーニュへ逃げてきたの、フランス語を一所懸命教えたわ。
雪の中でうずくまるあなたをみて、あの時の子供たちのことを思い出したの」
そして、
「私の孫はワイナリーで働いてる。あなたが持っているそのワインは孫が一所懸命作ったワインよ」
と、おっしゃったのです。
時は過ぎて…
5月になるとブルゴーニュは1面葡萄の花が咲き、お天気に恵まれます。
私は「危ないから!」という先生の制止を無視し、一人歩いてブルゴーニュ縦断5泊6日の旅を思いつきました。
それは私の期限付き自分探しの留学の締めくくりでもありました。
アロースコルトンからサヴィニーレボーヌまでの細い道や
ヴォルネィからムルソーまでブドウ畑を見下ろす丘の道をてくてく歩きながら
出会った人達を一人一人思い出しました。
そして、その懐の深さ、優しさに涙がとまらなくなりました。
「ここの人たちに恩返しできるような仕事を帰国したら見つけよう」
「ここでできたつながりを一生つなげていけるようにしよう」
そう思ったんです。
そんなこんなで、まず人ありきでソムリエになったもので、私にとってワインは造り手その人そのものなんです。
ワインに、初めて会うお客様から誤解のないよう本領を発揮してほしくて日々奮闘している次第です。
私がどのドメーヌを訪問したかはおいおいお話できる機会があると思います。
私の働くレストランではワインを飲んだことがない、でも飲んでみたいお客様もたくさんいらっしゃいますし、シェフとの小競り合い、育児との両立。
綺麗ごとではすまされない汗だくの現実がたくさんある世界です。
でも、そこにはいつもワインをめぐる優しさと楽しさ、生きる喜びが満ち溢れています。
私には東京で活躍されている皆様のように、コンクールでの必勝法や、華やかなワインイベントのお話はできません。
ですが、生きた現場の楽しいお話。
ソムリエってこんなに大変で、こんなに楽しいというお話ができたらいいなと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。